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山口地方裁判所 昭和49年(ワ)15号 判決

原告 恩村義一 ほか五名

被告 山口県

代理人 八木良一 小松原明 國松新成 石田蓋一 ほか七名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告恩村義一に対し、金三一六五万五九五八円及びこれに対する昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告恩村純亮に対し、金三〇四万六八〇〇円及びこれに対する昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は原告恩村誠人に対し、金九一〇万三二〇〇円及びこれに対する昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被告は原告恩村ミヤに対し、金一四五万五〇〇〇円及びこれに対する昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

5  被告は原告恩村アヤ子に対し、金三〇〇四万三一一〇円及びこれに対する昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

6  被告は原告恩村照且に対し、金八〇〇万一二〇〇円及びこれに対する昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

7  訴訟費用は被告の負担とする。

8  右1ないし6項につき、仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  原告ら

原告らは、何代も前から、山口県阿武郡川上村足山地区で、家業として農林業を営んでいる者である。

2  被告

被告は、昭和四二年から阿武川総合開発事業を実施し、その主要工事として昭和四五年三月阿武川ダムの建設に着工して、その後これを完成し、その貯水池に貯水をし、これらを管理、運営しているものである(以下右ダム施設と貯水池を含め本件ダムという)。

3  憲法二九条三項による補償義務

本件ダムによつて直接水没する土地、家屋の所有者は、その損失に対し、被告から相応の補償を受けているが、右のように直接水没する土地、家屋の所有者ではないが、本件ダムによつてその生活する周辺地域が水没したため生活環境が急激に悪化し、その所有する土地などの財産価値を減少させられた原告らには何らの補償がされておらず、そこに不公平な状況がつくりだされており、これは憲法一四条にも違反し、この状況を回復するためにも同法二九条三項により、被告は原告らの受けた次記損失を補償すべき義務がある。

4  損失

原告らは、前記本件ダムの建設により次のような損失を余儀なくされた。

(一) 本件ダムの建設がいわゆる残存者に及ぼした影響

本件ダム建設による水没世帯は二〇七世帯、人口約八四〇名で足山部落の南約四キロメートルのところには小中学校、郵便局、生活日用品を売る商店のある高瀬地区があり、原告ら足山地区の住民はこれらを利用していたが、高瀬地区は本件ダムの中央部に当るため水没し、原告らは右商店などを利用できなくなり、郵便や日用生活物資の調達に不自由するようになつた。また近隣の住民が移転して少なくなつたため、田畑に猪や野猿が出没して大きな被害を与えるようになり、山林労働者であつた人々が遠くに移転してしまつたことから山林経営も困難となり、原告らは到底そこにとどまつて生活することができず、足山地区を去る他はなかつた。そのため原告らはその所有の不動産等に以下のような損失を受けたものである。

(二) 不動産等の所有

原告らは、それぞれ別紙物件目録記載の各同人ら名義の山林、田、畑及び果樹を所有しており、別紙物件目録記載の恩村惣吉名義の物件は同人の所有であつたが、同人は昭和一五年五月死亡し、原告義一が惣吉を家督相続して、右物件の所有権を承継取得し、同目録記載の恩村豊蔵名義の物件は同人の所有であつたが、昭和六年三月恩村イサエが豊蔵を家督相続したものの、同女は昭和一六年に死亡し、原告アヤ子がさらに家督相続したことにより、その所有権を承継取得し、恩村武行は同目録記載の同人名義の物件を所有していたが、同人は昭和四五年七月一七日死亡し、遺産分割の協議の結果、原告照且がこれを相続により承継取得した。

(三) 所有不動産等の減価

右のとおり原告らはそれぞれ別紙物件目録記載の山林、田、畑及び果樹を所有しているが、うち(1)山林は本件ダムの設置等がなければ昭和四八年当時一〇アール当り一二万円であつたものが六万円に価額が低下し、(2)田は同様少なくとも一〇アール当り九四万五〇〇〇円、一部劣位のもので八五万五〇〇〇円であつたが、本件ダムの設置により農業経営ができなくなり、これに植林して山林として利用することは可能であるので、前記低落した山林の価額にまで減価し、(3)畑は一〇アール当り五四万円であつたが、田と同様に山林としての利用価値しかなく、山林に転換した場合、田よりは条件がよいので、その山林としての価額は一〇アール当り一五万円が相当であり、(4)果樹の樹令別の昭和四八年末当時の価額は別表1果樹価額表のとおりであつたが、本件ダムの設置等によりその各価額の八〇パーセントを失つた。

(四) 営農により得べかりし利益の喪失

原告義一と同アヤ子は、これまで農業経営をしてきたが、本件ダムの設置等により移転を余儀なくされ、営農は不可能となつた。そして老令である原告義一は新しい職に就くことはできず、原告アヤ子も安定した収入を得る職に就くことが困難である。

右原告らの営農利益の喪失による損失の額は、その後の物価騰貴を考慮すると、被告が昭和四三年に水没地の営農者に対し行つた農業補償の額の二割増しが相当であり、右補償額のうち右原告らの右損失に関する部分は別表2営農補償額表のとおりである。

(五) 慰謝料

前述のとおり、原告義一は老令期に住みなれた先祖伝来の土地をはなれて職もなく暮さねばならなくなり、原告アヤ子も新しい土地で新たな仕事を見つけなければならない。また原告誠人は生涯農林業経営をしようと高等学校も定時制に通い、大学進学の希望もあきらめ、農林業経営に専心し、原告義一の農林業経営の中心的役割を果してきたもので、右経営に大きな夢を持つていたが、本件ダムの設置によりこれは挫折し、このことは原告照且においても同様であり、さらに原告誠人は年令的にも改ためて今後の人生を託すに足りる職を見出すことは困難であり、右原告ら四名は甚大な精神的苦痛を味わつている。

(六) 各原告の損失額

(1) 原告義一       三一六五万五九五八円

イ 所有不動産等の減価 二六二四万四一五〇円

内訳山林         一一五六万八六〇〇円

1,928.1アール×(12,000-6,000)円=11,568,600円

田            一一一七万八一五〇円

但し、上位田は約一二四アール、劣位田は一二・九アール

124アール×(94,500-12,000)円+12.9アール×(85,500-12,000)円=11,178,150円

畑             二一五万二八〇〇円

55.2アール×(54,000-15,000)=2,152,800円

果樹            一三四万四六〇〇円

ロ 得べかりし利益    三九一万一八〇八円

但し、前記上位田は別表農業補償額の一級に、劣位田は四級に、畑は三級に該当する。

{(124アール×19,000円)+(12.9アール×16,000円)+(55.2アール×16,000円)}×1.2=3,911,808円

ハ 慰謝料            一五〇万円

(2) 原告純亮        三〇四万六八〇〇円

所有不動産の減価

内訳山林           三〇四万六八〇〇円

507.8アール×(12,000-6,000)円=3,046,800円

(3) 原告誠人        九一〇万三二〇〇円

イ 所有不動産等の減価

内訳山林           六一〇万三二〇〇円

1,017.2アール×(12,000-6,000)円=6,103,200円

ロ 慰謝料            三〇〇万円

(4) 原告ミヤ        六一〇万三二〇〇円

所有不動産等の減価

内訳山林          六一〇万三二〇〇円

1,017.2アール×(12,000-6,000)=6,103,200円

(5) 原告アヤ子      三〇〇四万三一一〇円

イ 所有不動産等の減価 二三七〇万三一五〇円

内訳山林           六八一万六〇〇円

1,135.1アール×(12,000-6,000)円=6,810,600円

田            一二五三万一七五〇円

151.9アール×(94,500-12,000)円=12,531,750円

畑             二七九万六三〇〇円

71.7アール×(54,000-15,000)円=2,796,300円

果樹            一五六万四五〇〇円

ロ 得べかりし利益    四八三万九九六〇円

但し、田は別表農業補償額の一級に、畑は三級に該当する。

{(151.9アール×19,000円)+71.7アール×16,000円)}×1.2=4,839,960円

ハ 慰謝料            一五〇万円

(6) 原告照且        八〇〇万一二〇〇円

イ 所有不動産等の減価

内訳山林           六〇〇万一二〇〇円

(290.7+709.5)アール×(12,000-6,000)円=6,001,200円

ロ 慰謝料             二〇〇万円

よつて、原告らはそれぞれ被告に対し、憲法二九条三項により、前記各損失額の損失補償金とこれに対するいずれも本訴送達の日の翌日である昭和四九年二月一〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因2の事実を認める。本件ダムは昭和四九年九月に完成した。

2  同4の(一)の事実のうち高瀬地区が水没したことを認め、同(二)の事実は知らない、同(三)ないし(六)の事実を否認する。

三  被告の主張

1  本件ダム建設の経緯

阿武川は、山口県の日本海側における最大の河川であり、流域は標高三〇〇ないし六〇〇メートルの山地であるが、乱伐による山林の荒廃等のため、萩市、川上村などでは毎年のように甚大な洪水被害を被つてきたため、昭和二五年度から計画高水流量を毎秒二、〇〇〇立方メートルとする中小河川改修工事に着手し、継続実施していたが、戦後の相次ぐ集中豪雨による出水量は年々増加しており、右計画高水流量を上回る傾向にあつたので、早急に流量改訂をする必要に迫られた。しかし、その流量改訂に伴う河川の改修は、低湿地域の宅地化、地価の高騰等による治水用地の取得難その他の社会的制約により河道の改修が困難であつたため、ダムによる超過洪水量のカツトの方法以外ほとんど不可能な状態にあつた。また、萩市を中心とする北浦地方が低開発地域工業開発促進法に基づく工業開発地域に指定されたこと、生活の向上に伴う水需要の増加に対処するため、阿武川の河川流量の確保が急務となつてきたこと、山口県内における相次ぐ大容量新鋭火力発電所の新設に備え、尖頭負荷用の水力発電所の設置も要求されるようになつたことから山口県と河川管理者山口県知事は、洪水調節、維持用水の確保(不特定用水)及び発電を目的として阿武川総合開発事業計画を樹立し、この事業の主体をなす本件ダムの建設は、昭和三九年度から予備調査を行い、昭和四一年度に実施計画調査を終え、昭和四二年度から建設事業に着手し、詳細な計画設計を固め、ダム本体工事は昭和四五年三月に着工して、昭和四九年九月に完成した。

なお、本件ダム建設に伴い水没した土地及び周辺地は、別紙図面1のとおりである。

2  本件損失補償請求について

憲法二九条三項を根拠とする損失補償が認められるのは、公共の目的のため、財産権そのものに内在する社会的自然的制約を超えて私有財産に対し特別の犠牲が強要された場合でなければならない。しかし本件ダムの建設により原告らに右のような特別の犠牲が強要されたということのできないことは後述のところから明らかである。

3  原告らの損失の発生について

原告らは、被告が本件ダムを建設したことによつて、その所有する農地及び山林の価格が低下し、損失を被つたとしてその補償を被告に請求するが、以下述べるとおり被告に請求すべき損失は発生していない。

(一) 原告らは足山地区から移転したため農業経営ができなくなり、山林経営にも支障が出たというが、原告らが足山地区から移転したのは、後述するとおり、被告と川上村当局が足山地区の生活が成り立つような措置を講じようとしたにもかかわらず、過疎化の進行する山中での生活に不安を感じ、本件ダムが建設された機会を捕えて被告から少数残存者補償を受けて、どちらかというと原告らの都合によつて移転していつたもので、被告の行つた本件ダムの建設に責任があるということはできない。

(二) 被告は、原告らの農林業経営に支障がないように村道佐々連舟戸線ほか多数の村道や林道を新設・整備しているのである。原告らは新設された村道佐々連舟戸線の通行困難性をいうが、積雪については右村道のみならず周辺の道路すべてに及ぶ自然現象であり、土砂流出等による通行不能は村道の管理者である川上村の道路管理の問題である。むしろ足山地区の住民が移転してしまい、林道としての機能しか期待されていない右道路は、急峻な山岳地帯を走つているにもかかわらず、勾配は林道の規定より緩めで、勾配の急な危険箇所は舗装されており、十分に機能を果しているといえるのである。そして、原告らは右村道を利用して林業経営を行つており、それにもかかわらず原告らは通うのに要する時間と交通経費を費して農地を耕作することは採算がとれないというが、山林経営はできてもより収益性の高い農業経営ができないということは明らかに矛盾した主張である。また、猿、猪等の有害獣の出没を農業ができない原因とするが、仮りに有害獣が出没して農作物に被害が出るとしても、その被害は原告らが足山地区に住んでいたときにもあつたということができる。すなわち、わずか一八戸しかない人里離れた山中にある集落の周辺に有害獣が出没することは容易に推察することができるのである。しかも、集落の大半の人間がその集落の外に働きに出ているのであるからなおさらである。

原告らが農地に植林して山林にしたのは、耕作することが可能であつたにもかかわらず、稲作転換奨励補助金の給付等を含め、山林経営の方が有利と判断した結果によるもので、それを本件ダムの建設に伴う損失として被告に補償を要求することは失当である。

(三) 次に山林経営に必要な労働力については、そもそも、第二次産業及び第三次産業の発展、山林労働者の高齢化等の社会現象によつて、山林労働者の数は急激に減少する傾向にあり本件ダムの建設に伴つて移転していつた山林労働者が仮りにあるとしても、それらは右社会現象を自覚して、生活の利便性、収入等を考えて移転先及び新たな職業を選定して移転していつたものである。本来労働力の過不足を考えるに当たつては、原告らがいうような高瀬地区、足山地区等の限定された狭い地域において論ずるべきではなく、道路網、交通網が発達している現代においては、相当広い地域を念頭に置いて考えなければならないのである。現に萩・山口等から川上村の山林まで通つており、その萩地方にはまだ多数の山林労働者がいるのである。もつとも、原告らが足山地区に居住していた当時でさえ、原告らは山林労働者を常用していたものではなく、必要に応じて雇い入れていたもので、このような雇用方法によつて将来も山林労働力を確保できる保証は全くないにもかかわらず、原告らは右のような方法による労働力の確保を期待し、このような期待を前提として山林労働力の不足をいうのである。

右のとおり本件ダムの建設当時に萩地方に山林労働力はあるのであり、仮りに減少したとしても、それは社会現象であつて、被告の責に帰すべき理由によるものではない。さらに原告らが所有する山林の大半はほとんど管理を要しない林令に達しているものがほとんどである。

(四) 山林の価格を決定するのは、山林の管理、木材の搬出等を考えると道路が重要な要素となつており、本件ダムの建設に伴つて道路が新設・整備されたことにより、原告らの所有する山林は明らかにその恩恵を受けてその価格は上昇している。

五  被告の抗弁

仮に、原告義一、同アヤ子についてその主張する損失が発生していたとしても、被告は右原告らとの間に、住居等の移転に要する費用及びこれに伴つて生ずる損失の補償について契約を締結し、右原告らはこの契約による補償のほかは被告に対し一切の請求をしない旨の特約をしている。

すなわち、本件ダムの建設により、足山地区及び福栄村の両水地区の住民に対し、少数残存者補償が行われたが、両水地区住民からは昭和四二年一二月被告に対し移転の希望が出されていたものの、足山地区住民からは移転の申し出はなかつた。

他方、被告は昭和四三年七月川上村長、川上村議会議長からの要望に基づき足山地区住民が移転することなく生活しうる対策を川上村の実施する過疎対策に合わせて検討しており、これらが実施されれば足山地区においても従前と変らない生活が維持できるはずであつた。

しかし、当初移住を考えていなかつた足山地区の住民も水没する高瀬地区等の住民が次々移転するのを見て、過疎地での生活の不安、都市生活の利便性等を考え、本件ダムの建設を良い機会に移転を考えるようになつたものである。被告は原告ら足山地区の住民に対しては、前述の理由から本件ダムが建設されても右住民の日常生活などには受忍の範囲を超えるような不便はないと判断し、右住民らと折衝したが、住民の移転希望は強く、被告は右住民の意思を尊重し、移転方式による少数残存者補償することとし、原告義一、同アヤ子と前記契約を結んだものである。

六  抗弁に対する原告義一、同アヤ子の認否

被告が主張する少数残存者補償以外に被告に対し一切の請求をしない旨の特約を原告義一と同アヤ子がしたことは否認する。

第三証拠関係 <略>

理由

一  憲法二九条三項による補償請求の可否

憲法二九条三項は、公権力が公共のために特定の財産権に制限を加える場合に、これによりまたこれに随伴して、一般的に受忍限度を超える損失を与えたときは、これを補償しなければならないことを定めたものと解されるから、公共のためにする財産権の制限により一般的受忍限度を超える特別の犠牲を課された特定人は、これについてより具体的に損失補償を認めた規定がなくても、直接右憲法二九条三項を根拠に損失補償請求をすることができるものというべきである。

二  本件ダムの建設に至る経過

<証拠略>によれば次の事実が認められ、反証はない。

本件ダムが設置されている阿武川は、全長八二キロメートル、流域面積六三五平方キロメートルで、萩市に至り、そこで日本海に注ぐ山口県日本海側で最大の二級河川であるが、戦中、戦後の山林の無計画な乱伐もあつて、戦後は台風などの度毎に、同河川の流域の田畑の流失や家屋の浸水などの被害が続出していた。

そのため、同河川の管理者は昭和二四年ごろ河川改修計画をたて、改修工事を実施してきていたが、近年に至つて阿武川の計画洪水流量毎秒二〇〇〇立方メートルを超える出水が毎年出ることから、右計画洪水流量の見直し、あるいは阿武川の洪水量の調節をする必要が痛感されるようになつてきていた。

他方、山口県においては、その山陽側と山陰側とでは大きな産業経済較差があり山陰側は相当立ち遅れていたことから、山陰側地方のその開発促進を図るべく、北浦総合開発を企画し、その一つとして阿武川の流水を利用する電源開発を計画した。

もちろん、前記洪水の被害を直接蒙つていた川上村も、村議会は独自に洪水の被害防止について研究、調査を行い、昭和三四年いわゆる多目的ダム法が制定されると、山口県を介して建設省に対し、阿武川にダムを設置するよう陳情をし、昭和三八年には山口県の山陰側の市町村長で構成する北浦総合開発促進協議会も右ダムの建設を山口県に要望した。さらに川上村はその八〇パーセントを山林が占めている山村であつて、当時は前記乱伐等により山林材は枯渇ぎみで、収入源は少なく、村民の現金収入は主として出稼ぎと災害復旧の土木工事に従事することによるものであつたため、村議会はこのまま推移すれば村は疲弊の途を辿ると考え、ダムを建設するとなれば、水没地の住民は土地を失うことにはなるが、むしろ補償を受けて他地区に移住することの方が利益が多いとの判断のもとに、昭和三九年一月ごろ山口県に対し、ダムの建設と道路の整備をするよう申し入れた。

これらの事情のもとで、山口県における電源開発、上水道その他の利水事業を管掌する山口県と国から阿武川の河川管理を委任されている山口県知事は、前記洪水の調節、維持用水の確保及び発電を目的として、本件ダムの建設を主体とする阿武川総合開発事業(以下本件事業という)計画をたて、河川法七九条二項に定める建設大臣の認可を得て、昭和三九年度、四〇年度には予備調査を、昭和四一年度には実施計画調査を行い、その後本件事業の着手、計画設計の検討などを経て、昭和四五年三月本件ダムの建設を着工し、昭和四九年九月に完成をみたものである。

この間、山口県及び同知事は、本件事業の実施により影響を受けると考えられる萩市、川上村、福栄村に対しては昭和四一年六月に、阿東町に対しては同年一二月にそれぞれ本件事業計画の説明をし、これら市町村からは昭和四一年九月から翌四二年二月の間にそれぞれ本件事業の実施について同意をえ、さらに本件ダムの建設により水没する土地の住民二〇〇名及び右住民以外で水没区域に土地を所有する者約五〇名で組織する阿武川ダム対策協議会の構成員に対し、昭和四一年一〇月七日と八日の両日同様に計画を説明し、翌四一年一月八日にはその後の経過説明を行つた。

そして、山口県は本件ダム敷地、水没予定地、付替え用道路予定地の土地等の住民及び所有者との補償については、昭和四三年七月ごろから交渉をはじめ、土地の買収(任意買収)を含む補償の内容、額について昭和四四年八月右住民、所有者を代表する前記対策協議会との間で合意に達したものである。

以上の事実によれば、本件ダムの建設を含む本件事業の実施は公共のために行われたものということができる。

三  損失の発生、本件ダム建設との因果関係など

原告らは、その主張する損失の発生につき、本件ダムの建設に伴ない高瀬地区が水没し、同地区にあつた商店、郵便局を利用できなくなつて日常生活をするうえで、非常に不便となり、また原告らの近隣の住民が移転して少なくなつたため、田畑に猪や野猿が出没し、大きな被害が出るようになつたことから、原告らは足山地区から移転せざるをえなくなつたこと、また右水没、住民の移転により山林労働力が不足し、原告らの山林経営が困難となり、主張するような損失が発生したというので、これらの事実の存否について判断する。

1  足山地区の本件ダム建設前における地理的位置関係など

<証拠略>によれば、川上村の村役場、小中学校、郵便局があるのは筏場地区であるが、足山地区は筏場地区のほぼ北東方向にあつて、その間には阿武川、それにつづいて山が控えており、筏場から足山へ直接通ずる道路はなく、筏場に近い相原地区の対岸や舟戸地区からは足山への道がないわけではないが、殆んど車両通行のできない自然の山道にすぎないこと、そこで足山地区から筏場地区に至る経路は、足山からその南東方向で徒歩約四〇分程度のところにある高瀬地区に出て、そこから阿武川沿いに徒歩約一時間二〇分ほど下つて筏場に達するというものであつたこと、高瀬地区には前記小、中学校の分校、日用品を商う店、集配、書留業務を行わない簡易郵便局があり、原告らを含む足山地区の住民はこれらの施設を利用し、日常の用を足していたところ、右施設のあつた高瀬地区は本件ダムの貯水池用地として水没したことが認められる。

2  足田地区の本件ダム建設後の地理的変化など

<証拠略>によれば、本件ダム建設後の昭和五〇年一二月ごろには村道佐々連舟戸線が新設開通し、その道は舗装されていて、足山から筏場へ出るのにこれを利用すれば、その所要時間は車で約一五分であり、その際山間部を通り、道の一部には勾配の急なところもあるが、一般の林道の規格より緩やかであり、冬期凍結時は別として、通常車両の通行に困難はないこと、従つて足山地区の住民は右村道を利用して筏場で、かつて高瀬地区において受けていたのと変らないか、あるいはそれ以上の生活上の便益を受けられる状況になり、小、中学校についても川上村内にあつた分校は筏場の本校に統合され、高瀬地区の生徒はスクールバスで本校まで送迎されていることが認められる。

3  足山地区住民と被告との補償交渉

<証拠略>によれば次の事実が認められる。

本件事業の実施及び水没地区住民、所有者との補償交渉の経過については、すでに認定したとおりであるが、本件ダムの建設によつて水没しない足山地区のような川上村内の非水没地区に対する施策として、川上村及び同村議会は村内を通過する県道の整備、足山地区への道路開設を含む山林の撫育管理のための村道の新設、児童の通学の便宜を図ることなどを昭和四三年七月、山口県知事に要望した。もとより足山地区の住民も本件ダムの建設による周辺地域の変化を心配して、まずは道路がどこに設置されるかということに関心があつた。そのうち具体性はないが補償を要求しようという空気が起り、昭和四三年一〇月二五日原則として足山部落の住民で組織し、一世帯一会員とする阿武川ダム第二対策協議会(以下第二協議会という)を結成し、その中に委員会を設け、補償その他の交渉は右委員会が行い会員個人は原則として右交渉を行わないなどの規約を定めた。その後足山地区住民は前記道路開設、学校整備の予定などを聞かされてはいたが、大勢はこの際足山地区から移転し、その代り水没地に準ずる補償を得ようということになり、第二協議会は昭和四四年一〇月ごろ被告に対し口頭で移転を希望する旨申し入れ、翌一一月二五日第二協議会は高瀬地区の水没により学校、郵便局、生活必需物資の購入先もなくなり足山地区は陸の孤島となる、建設される道路も足山地区住民の救済に大して役立たず、住民は足山地区を放棄して他に転出の他はないので、水没に準ずる補償をしてほしい旨、「阿武川ダム建設に伴う芦山部落救済方についての陳情」と題する書面(<証拠略>)をもつて陳情をし、つづいて昭和四五年一月一六日にも被告へ同趣旨の陳情申し入れを行い、同月二四日には補償項目を掲げた「阿武川総合開発事業に伴う損失補償要求書」なる書面(<証拠略>)を提出して補償を要求した。そして第二協議会では当時足山地区の住民全員が移転することを前提に右補償要求をしていた。

これに対し被告は前述のような川上村の要望もあり、それまでにも年を追つて住民が減少しつつあつた川上村の過疎対策、地域開発を図る上でも道路が必要であり、適切な道路開設が行われれば、本件ダムが建設されても、足山地区の住民が日常生活を送るのに支障はないと判断していたことから、これらの事情を右住民に説明して了解を求め、また川上村も同趣旨を説き、水没に準ずる補償については、仮に移住するにしても道路の開設によつて農地などは通勤耕作も可能であるとしてこれを勧めた。

しかし、足山地区住民の移転希望と補償要求の意思は固く、そのうち、右住民の中の原告義一らを含む水没地区に土地を所有する者は、被告が右補償など足山対策を具体的に示さないので、当該水没地の任意買収には応じないとの意思を表明したことから、被告はこれに困惑し、さらに川上村も前記道路の整備を熱望しつつも、右足山地区住民を説得しきれなくなり、移転を認め補償をすることにより事態を円滑に解決することを希望するようになつていつたこと、また本件事業費の二分の一を負担している建設省もやつと補償について了解したことから、被告は昭和四五年夏ごろ移転を前提として補償をするとの方針を決定し、同年一一月三〇日具体的な補償基準を第二協議会に提示した。このときは足山地区の住民は家族を含め約三〇名が集つていた。

その内容は、まず建物、工作物の移転料と家族の移転旅費は水没地の者と同一基準とする。転居先詮索費を含む移転雑費は一戸当り一〇万円の範囲内とする。建物敷地は一平方メートル当り二五〇〇円と補償する。そして足山地区住民全員が(補償)契約に応ずることを条件とし、全契約が成立したときはその補償額の五〇パーセントを前払いし、移転が完了したときに残額を支払う。移転の期限は昭和四六年一二月末日までとするというものであつた。

そして右基準提示の場において川上村長は村が水没地住民対策として造成した団地がまだ当時は売れ残つているので、そこへ移転し、過疎対策としてもできるだけ川上村に残つてほしいと述べた。

その後第二協議会は同年一二月に右提示された基準や条件を承認する旨被告に回答し、被告は同月下旬から具体的に住民の建物、土地などの実地測量を実施して、翌四六年一月二九日住民に対しそれぞれ具体的な補償額を提示したが、住民からは同年二月二五日補償金の増額要求があり、折衝の結果宅地上の立木の移転料として一戸当り一〇万円を上積みすることで妥結をみて、足山地区住民全員が各戸毎に(補償)契約を結んだもので、当時原告誠人は同義一と同居しており、原告照且は大学生であつて、亡父武行あるいは母アヤ子が足山にあつて対外的な交渉に当つており、現に補償契約は原告義一と同アヤ子の名で結ばれているが、その移転旅費の項では原告義一の家族は大人五名、同アヤ子の家族は大人七名となつていて、それぞれその中に原告誠人、同照且が含まれているものといえるし、原告純亮は山口市に住んでいて、足山地区の住民ではなかつた(また足山地区に宅地、家屋などを所有していたことを認めうる証拠はない)から右補償の対象者ではなかつた。そして右契約において原告義一はこれらの補償要求において移転により営農できなくなるとしてその補償をも求め、それが容れられないことに不満を持つていたが、結局右契約を結び、原告義一、同アヤ子はともに右契約においてそこに掲げられた補償金以外は名目いかんにかかわらず一切請求しないことを被告と約している。

4  原告純亮を除く原告らの移転と田畑、果樹

<証拠略>によれば、原告義一と同誠人を含む原告義一一家と原告アヤ子と同ミヤ、同照且を含む原告アヤ子一家は、いずれも昭和四八年に前後して、足山地区を去り移転したが、原告義一一家は足山地区へは車を使えば三〇分で行ける川上村内に、原告アヤ子一家は足山地区までやはり車で約五〇分かかる萩市平安古へそれぞれ移転し、原告アヤ子らが萩に移つたのは、昭和四一年六月二〇日すでに右移転先に土地を購入していたためであること、原告義一一家も同アヤ子一家もその主たる収入源は山林経営と米作による収入であつたが、米作については自家労働力、附近住民の労働力の融通し合い、さらに農機具の使用で作業をしていたもので、右原告らを含む足山地区住民の移転により、通勤耕作をするとなれば、通勤時間は別として右労働力の融通のし合いができなくなるだけで、他は不可能となるものではないこと、両家とも畑では豆類、麦、自家用野菜を栽培しており、そのうち豆類あるいは麦を一部売つていた程度であり、また果樹は原告ら主張のように植えていたが、柿、栗、梅の果実を少量、市場に出荷したことがあつた程度であること、足山地区の田畑の地味は痩せているうえに、山間部であるため日照時間が短かく、川上村内で一番収穫量の少ない土地であり、村内の他地区でも稲に関しては猪の被害があり、足山地区でも昔から猪、野猿が出没していたこと、昭和四四年から始つた国の減反政策に沿つて、山口県では昭和四五年から減反、転作の補助金が受けられることとなり、転作については立木を栽植したときも補助金給付の対象となるものであつたこと、このような事情のもとで、前述のように移転を強く希望していた足山地区の住民は田に植林し、右補助金の支給を受けられることもあつて当初から移転後の耕作意欲は殆んどなかつたこと、したがつて右住民はもちろん原告らも田に杉、檜を植林して移転してゆき、これにより昭和四六年度から同五〇年度の間に原告義一は総額一四九万九八六八円の、原告アヤ子は総額一八九万一〇〇八円の稲作転換奨励補助金の交付を受けていること、以上の事実が認められる。

5  山林作業の内容、山林労働力の供給、山林の価額決定の要素

<証拠略>によれば、山林経営における作業の内容は、植林から始めるとすれば、地ごしらえ、植林、下(草)刈、つる切り、除伐、枝打ち、間伐、伐採、搬出であり、杉、檜の山林で植林後材令三七年までに要する作業は、植林後七年目までは年一回程度の下刈を、右三七年間につる切り、除伐が一回、枝打ちを一〇年目ないし一八年目ごろから四年ないし六年間隔で二、三回、間伐を一四年あるいは一五年目からやはり右間隔で四回行うのが、川上村地方では普通であること、これらの作業に要する労働力については、川上村では過疎化の波に洗われて、本件ダム建設以前から減少傾向にあつたが、しかしこれは川上村に特異な現象とばかりはいえず、山口労働基準局萩監督署管内の昭和五五年四月一日現在の林業労働者数は昭和四五年四月一日現在の五三・二パーセントになつており、右基準局管内の総計でも同時期には六三・三パーセントまで減少していること、こうした山林労働力の減少、老令化、主伐材の減少、伐採地の奥地化などの負因を打解するため、川上村森林組合は昭和四五年林業構造改善事業を取り入れ、近代的機械の導入を図り、常傭労務者一八名、臨時的育林労務者一三〇名を擁して、組合員から委託を受けて山林経営のすべてを行いあるいは造林、保育のみの受託業務や山林経営指導業務を行つていること、委託の利点は山林経営者が不足する労働力を委託制度を利用することによつて満すことができることはもとより、労務者の作業中の災害による損害は組合の災害保険の保険金で填補でき、年間稼働日数の多い労務者には退職金制度の恩典が受けられるため勤労意欲は高く、さらには伐材の販売に当つては業者との駆け引きに巻き込まれず、ある程度適正な価額で販売できることがあげられること、山林上の立木の価額、ひいてはその山林の価額を左右する大きな要因はその素材が同種、同品質であれば、当該山林がいかに搬出の可能な道路に近いかによるのであつて、往時から川上村では「山を買うより出しを買え」という言葉があり、これは材木業者側に立つてのいい方ではあるが、林業経営者にとつても、労働力の移動、機械の搬入、薬剤、肥料の運搬、保育、管理の便宜などに道路のあることは極めて有利な条件であることが認められる。

6  原告ら所有の山林の所在場所とその成育状況

<証拠略>によれば、原告ら所有の山林の位置とその育成状況については次の事実が認められる。

原告らの本件所有山林の所在場所は、一部を除いて別紙図面2記載のとおりであつて(なお後記認定の管理状況に合わせて、原告義一、同純亮所有山林は原告誠人分として原告ミヤ、同アヤ子所有山林は原告照且分として記載してある)、右図面に記載していない一部の山林は、川上村の中ノ原地区、惣之瀬地区にあつて地理的、時間的にも原告義一、同誠人の移転先に近く、また足山地区からは山道を通つていたものが、車の利用も可能となつた。長谷地区周辺にある山林は足山地区からと原告義一、同誠人の移転先からとでは所要時間には殆んど差がなく(原告照且らの場合は萩からであるから、足山地区からよりは遠くなる)、足山地区からは車の利用ができなかつたのが可能となつた。そして本件ダム北側に散在する多数の山林は右ダム完成後開設された村道佐々連舟戸線沿いかあるいはそれに近い場所に位置することとなり、また本件ダム南側にやはり散在する山林は一般道萩長門峡線が開設されたことにより、右道路に近くなり、現在の方が足山地区から行くのに比べて便利となつている。足山地区周辺にある山林は原告義一と同誠人の場合それを合わせて約一〇・一三ヘクタールで、同人ら所有山林の約二〇パーセントに当り、移住後同山林から遠くなつたことは確かであるが、道路事情からみると旧道の足山口附近へはやはり前記佐々連舟戸線が通つていて、あまり変化はないということができる。

そして、右山林のうち材令二〇年未満の山林は足山地区周辺に小規模のものが少しあるのを除けば大部分は前記佐々連舟戸線沿線、特に永谷地区と佐々並川の両岸の山林(先後原地区などで前記萩長門峡線を利用できる山林)であつて、原告誠人、同照且も昭和五五年当時右足山地区周辺の山林へは年間四、五回行く程度で、右佐々連舟戸線沿いと萩長門峡線沿いの山林を中心に作業を行つていたものである。そして原告義一、同誠人の場合は、移転する時にはその所有山林の約六〇パーセントは既に植林して山林経営をしており、残り約四〇パーセントは雑木林で、そのうち約四町歩程度を植林する予定であつた。

7  原告らの山林経営の実際など

<証拠略>によれば、原告義一、同誠人所有の本件山林は、同人らが足山地区から移転するまでは原告義一が中心となつて経営しており、原告誠人はそれを手伝つていたのであるが、移転後は原告誠人が責任をもつて自主的に山林経営をするようになつたこと、右原告らが足山地区に存住していた当時は、植林のための地ごしらえ、植林、下刈りの各作業に主として足山地区の人を雇い入れていたが、移転後は他の山林経営者と互いに労力を交換する(手間換え)などして、原告誠人が専ら山林作業を行い、その妻が時々手伝う程度であつて、昭和五〇年から五二年の三か年間においても雇用労働力を使用しておらず、昭和五二年一二月現在におけるその後二五年間の原告誠人の森林施業の長期方針でも育林作業は自家労働で賄う計画となつており、造林作業では他家労働力を利用することとなつているが、それの具体的供給先、例えば前記森林組合の労働力を利用したり、委託をすることなどの内容は明らかでないこと、原告純亮は早くから足山地区を出て山口市に居住し、昭和四〇年ごろには山口市にアパートを建て、表具屋に勤務しながら右アパートの管理をしているもので、同人は以前からその所有の本件山林の育成、管理はしておらず、それは同人から委託されてその弟である原告誠人が行つているのであるが、原告誠人は同人と原告義一所有の本件山林経営が人手不足により満足に行えないと主張しながらも、原告純亮所有の本件山林作業を森林組合その他の者に委託する考えは持つていないこと、さらに原告誠人は、前認定のように足山地区の住民が第二協議会を結成し、移転をしようとしていた昭和四五年ごろには村道佐々連舟戸線沿いの七筆の山を購入して、植林しており、また本件提訴後にも前記佐々並川東岸の六筆、二・三ヘクタールの山林を購入していること、原告ミヤ、同アヤ子、同照且所有の本件山林は、足山地区在住当時は、原告ミヤの夫(原告アヤの父、同照且の祖父)と原告アヤ子の夫武行が中心となつて経営しており、原告照且は昭和四六年大学を卒業後、昭和四七年七月から萩市農業協同組合に勤務しながら右山林の経営を祖父とともに当ることになつたが、昭和五一年三月三一日右組合を退職し、山林経営に専念するようになつたこと、そして原告ミヤはもちろん原告アヤ子も山林作業には従事せず、原告アヤ子は萩市で八百屋に勤務しており、原告照且の場合も右山林経営は原告誠人を含む山林経営者グループ(林和会)の者の労働力を借りる(手間換え)他は殆んど自力で作業を行い、昭和四九年から五一年の三年間に他家労働力の雇入れはなく、昭和五二年から五年間の森林施業計画においても自家労働力で遂行する予定をしていたもので、このようにして施業予定の八〇パーセントは実施できたこと、原告照且は右のような山林経営のほか昭和五一年からは椎茸栽培も行い、また同人は萩への移転後、本件ダムと村道佐々連舟戸線との間の裸山あるいは雑木林といつてよい山林を購入していること、なお原告ミヤはその所有の本件山林をすべて原告照且に無償贈与し(受贈者名義は原告照且とその子となつている)、現在なんら山林を所有していないこと、以上の事実が認められる。

8  甲第一六五号証(鑑定評価書)について

甲第一六五号証は原告誠人、同照且の依頼に基づき本件農地及び山林が本件ダムの建設により受けた損失額を鑑定したものであるが、そこでは本件ダム建設後開設された村道佐々連舟戸線については通学、日用品購入場所となる筏場まで、すべて徒歩利用をすることを前提としているが、川上村内の遠隔地区の学童はスクールバスを利用するようになつていること、また<証拠略>により認められるように、同人ら及びその家族は足山地区に在住当時から車を利用していたが、これらの事情は考慮されていないし、農地の価値喪失分についても、前認定の稲作転換奨励補助金の支給の可否については何ら斟酌していない。さらに山林の価値減少分については、本件ダムの建設により川上村から移転した農林業世帯数と川上村森林組合に登録されている作業班員の数、などから川上村における一般的な山林管理能力の減少率を挙げて、これを本件山林の価値喪失額の算出に利用しているが、そもそも移転した農林業世帯が全部山林労働力を供給していたかは何ら検討されておらず、また右減少率の算出根拠は薄弱であるうえに、原告ら所有山林の減価である以上、労働力については右各山林についてその所在場所と道路状況、同山林上の材令、同山林のこれからの保育、管理の作業の必要性とその内容、それに要する延べ日数、作業能力の差異、各伐採、搬出の難易、自家・他家労働力必要比率、他家労働力の供給の可否などの諸条件を具体的、個別的に検討すべきであるのに、この条件の一部についての資料は添付されてはいるものの、これを精査、検証あるいは実地踏査するなどの作業を実施した形跡はなく、右諸条件は何ら考慮されていない。以上のような内容に基づく鑑定結果は本件ダムの建設により原告らが受けたと主張する本件損失の存否及び額を判断するうえで、到底合理的な検討に堪えうるものではないといわなければならない。

以上1ないし7において認定してきた事実によれば、原告純亮を除く原告らが足山地区から現在の移転先へ移転したことにより、足山地区の田、畑を農地として利用し、果樹を栽培することがある程度困難となつたとしても、右原告らにおいて足山地区から移転しなければならない事情としては、原告ら以外の足山地区の住民がすべて同地区を去り、残つても原告らのみであるということであつて、もちろんそのような生活共同体が分解した極端な過疎地区で原告らが孤立して生活して行けないことは十分に理解できるところではあるが、他の住民が移転していつたことは本件ダムの建設を含む本件事業の執行が契機となつたとはいえても、右移転と右執行の間には因果関係はない。なぜならばすでに認定したように道路の新設、通学のための代替措置などより足山地区では従前と同程度であればその生活状態を維持することが可能であつたのである。しかし、当時すでに川上村全体が過疎化現象に悩まされており、地理的にも、産業面でも収入源としてもさらに発展性のない足山地区の住民は、本件ダムの建設による水没地域の住民などが補償を受けて移住してゆくこととなるのを知つて、同じく補償を受け、他地域への移転により安定した現金収入源を確保できることを期待して、足山地区に定住する意欲を極度に喪失していたものであり、それがため被告との補償交渉を強力に推進していつたのであつて、また証人恩村保男の証言により認められるように、実際に同人の場合にみられるとおり移転によつて受けた損失はなく、移転後は収入も増加し、生活は楽になつたという例もある。

したがつて山林についても右原告らの移転により同人らの山林作業が不便になつたとしても、やはり右移転と本件ダムの建設との間には因果関係がない以上憲法二九条三項によつて補償されるべき損失といえないことはいうまでもないが、そもそも原告らが主張する損失があるか否かについては、先に認定したように村道佐々連舟戸線や萩長門峡線の開通により本件山林の多くのものはその価値が増加していることが考えられ、また右山林のうちの多くのものは材令から見て頻回作業を要する時期を過ぎており、現実に山林経営をしているのは原告誠人と同照且のみであつて、その余の原告らは山林経営を右両名に任せている状況で、任されている両名にしても、自家労働と仲間の山林経営者が保有する労働力でもつて山林経営を行い、他家労働を求めておらず、またその計画もないばかりか、移転後も積極的に山林の購入をしていて、本件ダムの建設により水没地域などの住民の移転により山林労働力が減少したことは抽象的には否定しないものの、原告らの場合、労働力不足により山林経営がすべて困難となつたとはいえない。足山地区周辺にある一部の山林については、移転先からは遠くなつたため保育、管理等に不便とはなつたもののある可能性はあるが、右山林に要する作業についても他家労働を利用できないことについては、一般的に右労働力の利用が困難であるとの<証拠略>はあるものの、これは必ずしも右事実を立証するに足るものとはいえず、仮に右事実が認められたとしても、具体的な山林と右労働力不足により発生した具体的な損失については何らの証拠もない。したがつて山林については原告らが主張する損失と本件ダムの建設との因果関係の存否より前の問題として、右損失は発生していないか、その発生の立証がないものといわなければならない。してみれば、原告らが主張する田畑、果樹、山林についての損失はもとより、営農により得べかりし利益の喪失及び慰謝料についても、それが補償対象となるべきものか否か、受忍限度を超える程度のものであるか否かについて検討を加えるまでもなく、それ自体認めることができないものである。

四  ところで、原告らは当初第一次的に山口県知事及び被告の職員の違法な行為により本件ダムが建設されたとして、国家賠償法一条により、第二次的に本件ダムの設置、管理に瑕疵があるとして同法二条一項により、本件損失と同額の損害の賠償を求める訴を提起し、つづいてさらに本件訴を予備的に追加し、これらの訴は併合審理されていたのであるが、訴訟手続はその後右国家賠償法に基づくものと、本件とに分離された経緯があるので、これに関して以下当裁判所の見解を付加しておく。

行政事件訴訟法四条後段は、公法上の法律関係に関する訴訟を当事者間訴訟といい、同法一条、二条によれば、右訴訟手続には特別の定めのある場合を除いて、行政事件訴訟法が適用されることとなつている。そして右当事者訴訟は公法上の権利又は法律関係を訴訟物とする訴訟と解すべきであるところ、原告らは本訴において被告に対し、被告の適法な本件ダム建設事業の執行により受けた損失の補償を請求しており、本訴の訴訟物は右損失補償請求権の存否である。

ところで、原告らと被告の各主張によれば、本件ダムの建設事業は、土地収用法三条二号に該当する公共の利益となる事業に当り、右事業用地として土地を収用又は使用することにより生ずる損失の補償については同法第六章の適用があり、原告ら所有の土地のように右収用、使用の対象外の土地についての補償としては同法九三条にいわゆるみぞかき補償がある。しかし原告らが本訴において求める損失の補償については右土地収用法はもとより公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱(昭和三七年六月一九日閣議決定)にも定めがない。そこで原告らは憲法二九条三項に基づき本件請求をしているものと考えられるが、土地収用法自体右憲法の条項を具体化したものであり、同法所定の補償対象たる損失と原告らが主張する損失は発生原因やその実質において全く同質のものであつて、土地収用法に基づく損失補償請求権は公法上の権利であるから(この請求訴訟の訴訟物がこの権利の存否であるというものではない)、憲法二九条三項に基づく損失補償請求権も公法上の権利というべきであり、したがつて前説示のところから本件損失補償請求訴訟は行政事件訴訟である。

ただ、行政事件と民事事件の併合については、その訴訟手続を異にするため、原則として許されないが(民訴二二七条、行訴法七条)、行政事件訴訟法一九条一項(同法四一条二項で当事者訴訟に準用)において取消訴訟(当事者訴訟)の口頭弁論終結時まで関連請求にかかる訴を右訴訟に併合することができることとされている。しかしその反対解釈として先行する民事事件に行政事件を併合することは許容されていないものと解すべきであるから、前述の国家賠償法に基づく損害賠償請求事件(民事事件)に本件損失補償請求事件を併合することはできないものである。

かかる場合の処置については、申立時あるいは審理の初期の段階においては、後発の訴を却下するとか、却下せず分離のうえ管轄裁判所が審理し、あるいは審理できるよう移送する方法が考えられるが、本件のように両事件の管轄裁判所が同一であり、関連する行政処分はなく補償として単純に金銭の支払を求めているため、行政事件訴訟法における民事訴訟法と異なる手続、すなわち職権証拠調べや行政庁の訴訟参加をする必要性が殆んど考えられない場合には、本件のように訴訟手続の終了段階においても分離のうえ、それぞれ事件の審理を終えることができ、かくして前記法条の趣旨と裁判所を含む訴訟関係当事者の負担に帰する訴訟経済との調和をも図れるものと思料する。

五  叙上のとおりであれば、被告の抗弁につき検討するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大西浅雄 岩谷憲一 松尾昭彦)

物件目録 <略>

別表1、2 <略>

図面1、2 <略>

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